そういえばわたくし事ですが、今年結婚10年目になります。
籍を入れたのが24歳の時で、結婚式は25歳になった9月24日にあげました。
あれから10年、現在は35歳になりました。
そこで、10年前に書いていたブログを掘り起こしてみました。
リメイクしてみましたので、ご覧ください。
10年前のあの日
2007年9月24日 結婚式を挙げました。
祝福してくださった皆様、本当にありがとうございます。
しかし、結婚式は大変でした。
挙式はリハーサルがあったんですが、非常に短く内容不充分で本番とちりまくりでした。
しかも、わりとトラブルもありました。
事の発端は、2007年3月に札幌のセンチュリーロイヤルホテルで式場予約を済ませています。
さぁ、いよいよ式まで1ヶ月だと思っていた頃、いつも通り新聞を読んでいたら
センチュリーロイヤル民事再生を申請!!
(画像:ウィキペディアより抜粋)
そうです、ホテル破綻しました。
民事再生なので特に何もありませんがなんとも縁起悪い。
とはいうもののこちらは新婚夫婦、ワクワクが止まりません。
気を取り直して、新婚旅行を考えに考え抜いて沖縄に決め、申し込みました。
沖縄マップルも購入し意気揚々としていた頃にニュースを見ると那覇空港が炎上していました。
(画像:ウィキペディアより引用)
そして、僕個人はといと、9月いっぱいで会社を退職してしまいうという、とんでもない状況で結婚式を迎えました。
結婚式の時は、有休消化期間です。
つまり無職ですね。
有給消化期間があまりにも暇なのと
お金がなさすぎるのでヤマザキパン工場でバイトしました。
ヤマパンはすごいです。
マニュファクチャです。
工場性手工業です。
夜7時から朝6時まで11時間立ちっ放しでひたすらベルトコンベアの前で「蒸しパン」の底の薄っぺらい「紙」をひいていました。
他にも、肉まんの底の「紙」をひいていました。
または、コンビニで売ってる団子の透明容器を開けたとき表面についてる「透明フィルム」をひき続けました。
アルバイトの大学生にアゴで使われるんです。
(僕もバイトですが、直前まで会社員だったのでプライドがズタズタでした)
とにかく幸先が悪いスタートでした。
人生ゲームで例えると、コマと人の棒が足りなくて、しょうがねぇなと
消しゴムとつまようじで代用した状態位幸先が悪いです。
こんなコマじゃ、人生ゲームで絶対幸せになれないですよね??
結婚式当日
不充分なリハーサルを終え、さぁもう入場ですって時に嫁がトイレに行っておきたい言い出しました。
控室ではなく、皆が待っているチャペルの扉の前でである。
もうちょっと先に行っておいてくれないかな??
僕は廊下でひとりでタキシード姿でブーケを持って待っていました。
腕時計を気にしながら。
おそらく通り過ぎる人たちはその光景を
お嫁さん、来なかったんだ、、、かわいそう、、、
と思われていたに違いない。
しかも、のりのりなスタッフが「本番いきまーす」「待ってくださーい!新婦お手洗いでーす」と声高らかにご発声。
これは僕にブーケを武器に戦えという合図なのか?
その後本番、挙式の最中に緊張しきっている私は参列者を眺めました。
友人はあまり呼んでいないのですが、ひとりとても顎がしゃくれた友人がいます。
その顎を見て、少々リラックスできました。
きっとマイナスイオンが出ているのかと思いました。
後日、その友人に「とてもリラックス効果のあるそのアゴには何が入ってるんだろうね?」と聞いたら
彼はストレスと答えていました。
さて、続いて「誓いの言葉」
台紙(カンペ)を渡されるんですが、なんと僕の名前が間違って記述されています。
これは僕にブーケを武器に戦えという合図なのか?
その後「誓いのキス」
緊張しすぎてファーストキスのように正面過ぎて鼻がつぶれました。
ちなみに披露宴の食事1品目はサーモンでした。
僕の脳裏にはあの事でいっぱいになりました。
(あの事とはこちらの過去ブログ参照→「高校生のキスの練習方法」)
親族紹介と家族写真
緊張高まる挙式が終わり、親族紹介。
ココは普通に時が過ぎました。
しかし、その後の家族写真の撮影。
カメラマンは、笑みを浮かべたカエルのような人です。
もう、全員の立ち位置を数センチ単位で指示を出してくる。
カエルが。
しかも、オッケーが出てからカメラの前にたつんですが、首をかしげる。
カエルのくせに。
その後、ばぁちゃんの着物のしわが気に入らないと、何回も直しにきて、何回も失敗して、何回も直しに来る。
両生類のくせに。
みんなの怒りが僕の背中に伝わります、、、、。
何とか、無事に撮り終えました。
その場にTシャツがなかったことが、せめてもの救いでした。
もしその場にTシャツがあったら、彼をTシャツにプリントしてど根性ガエルにしていた事でしょう。 両家全員で。
披露宴
その後、披露宴開始。
挙式程の緊張感はなく、順調に進んでいきました。
まず、料理が本当に食べる暇がない。
僕は、サーモンしか食べてません。
でもしっかり、料理代は取られました。
(札幌の結婚式は会費制です)
そして、僕は無職なので会社とは関係のない、ある人(50歳)に祝辞を頼みました。
彼はとてもまじめで、仕事熱心です。ですがこれからは仕事ばかりしないで、家族といる時間を大事にしなさいと、、、。
心にしみるとても良いスピーチでした。
その時、無職の僕に仕事ばかりしないでなんて、面白い事言うなぁ。
こんなに泣きそうになるスピーチはないと思います。
ちなみに、僕が無職であることは嫁さん以外誰も知りません。
家族、友人、出席者全てを騙していました。
まぁ、順調に披露宴は進んでいき、友人達の余興が終わり
僕は嫁にどうしてもトイレ行きたいと言い、会場を出ました。
そして、サプライズ余興ゲスト「新郎」が登場し
レミオロメンの3月9日をアコースティックギターで弾き語り。
その瞬間陣内だ!陣内のパクリだ!と茶化されましたが、緊張しながら、震えながら歌いました。緊張しすぎて息が続かず途中で咳き込みましたが、そこは愛嬌です。
僕が新婦に向かって歌を捧げている感動的な時。
嫁も僕のことを見つめていてくれている、その時。
僕の祖母が、嫁にお酌をしにいってた、そしてなんか色々話しかけてた
空気よんでくれよ、、、。
そして、それ母が祖母をはがいじめにして家族席に引きずって行きました
空気よんでくれよ、、、。
まさか、身内に裏切られるとは、、、、。
そんなこんなで、キャンドルサービスならぬアクアファンタジーと言うものやりました。
最後は、映画ボディーガードの曲でメインテーブルをアクアファンタジーフィナーレ。
その時、撮影用のカメラマン(ビデオカメラ)が目の前にいました。
映画「ボディーガード」でこの曲が使われているのは、撮影用ビデオカメラが実は「赤外線スコープ付のライフル」だったというオチでした。
実際、僕の目の前でビデオカメラがいたので撃たれるんじゃないか?と少し怯えました。
それから、嫁の「両親への手紙」
コレは普通に泣けますね。
そして、挨拶して終了。
嫁は、緊張も少なく最高に楽しかったし、幸せだったと言いますが、サプライズを控えてた僕にとってはずーっと緊張していたので気が気じゃありませんでした。
しかし、結婚式はとても幸せな瞬間でした。
祝福されると本当にうれしいものです。
地味婚が増えていますが、お嫁さんのために是非やってあげた方が良いと思いますよ。
こうして、無事に披露宴は終わりました
二次会について
披露宴も終わり、友人たちの主催してくれた二次会に参加。
各友達はグループを作り、盛り上がっています。
意外に、どのグループに顔出しても中途半端にしかなじめない。
会話の途中からなになに、何の話?と、同じ話をもう一度させる。
そして、もう一回話すのがめんどくさい友人達は、とりあえず、おめでとうと新規の話題をしようとする。
こちらとしては、非常に申し訳ない気持ちになる。
修学旅行の時の班決めでどこにも入れなかったことを思い出します。
いたたまれない気持ちになります。
主役の僕は誰よりもなじめてませんでした。
嫁も同じ気持ちだったはず、、、。
思いきや、嫁、、、超馴染んでるし、、、。
それなりに、楽しんだ二次会も終わり、三次会に行こうとなりました。
三次会はバーに行きました。
行く途中、僕は嫁を置いて「ラーメンの山岡家」に行きました。
山岡家の中でも最も臭い山岡家オブ山岡家(山岡家の中の山岡家)狸小路店で異臭の歓迎を受けながら、食券を買いました。
もちろんピリ辛ネギ醤油固めん中盛りです。
ここは譲れません。
譲りません。
死刑囚は死刑前夜に何が食べたいかリクエストできるようになっています。
もし私が死刑囚なら、、、、。
さすがに山岡家ではないな、うん。
話は戻りまして、私は山岡家大好きな友人二人と、、、。
友人二人と山岡家の匂いをまるでソムリエの如く堪能し
山岡家の一杯一杯に歴史があるよねと言う会話をし、茹で上がる時間を待ってました。
その茹で上がる時間中、いかに山岡家を愛しているか。
なぜ新婦を置いてまで山岡家に来るのかを語り合っていました。
そして、6分間の長いようで短い茹で時間を終えお待ちどうさまの掛け声で出来上がる芸術品。
なんと、会話を一部始終聞いていた店員が僕のラーメンだけ「味玉子」をトッピングしてくれたのです。
さすが、山岡家!
全てがデジタル化し、少年の犯罪も増え、おばさんが布団を叩いて捕まる時代にこんな粋なはからいをできるのはここだけ。
しかし、味玉子が嫌いな僕は、レンゲに乗せてをつき返してやりました。
そして幸せって780円で買えるんだと一杯のラーメンを完食し三次会へ向かいました。
申し訳ないですが、僕の疲れもありグタグタなテンションのまま三次会が終わりホテルへ帰りました。
結婚初夜を立派なホテルで過ごすことになりました。
緊張の結婚初夜
式や披露宴を思い出し、なんだか照れくさい中
お互い疲れすぎて、5秒くらいで寝ました。
こうして、幸せな結婚式を終え新婚旅行に行く僕らでした。
妻を置き去りにして三次会を抜けたことを妻は少し怒っていました
そりゃ怒るでしょう。
しかし、怒っている理由が私も山岡家食べたかったでした。
さすが、僕の妻!
さすが、僕の愛した人!!
山岡家を好きな人と結婚できて本当に幸せです!
大丈夫!
君のためにサービス券は全員分回収しました!
愛してる人とおいしいものを食べる。
これ以上の幸せはないでしょう
あとがき
10年前に書いた記事ですが、10年経って子ども二人、猫二匹、しかも現在東京なんて、色々ありました。
しかも、この結婚式のあと初月に家賃滞納したりして、とにかく貧乏やつらい思いをたくさんさせてしまいました。
うん。よく僕フラれなかったな。
僕が女性なら嫌だなこんな男。
好きな人と山岡家に行くのが幸せでわ。
10年前は二人だったけど、今は家族4人で行ってます。