最近、キングコング西野氏にはまっております。
何にはまっているかと言うと、発想にです。
これにつきます。
具体例はいくつかあるんですが、どれも発想自体はすごいんです。
言いきることと、実行することもすごいんです。
例えば、わかりやすい例で言うと魔法のコンパスと言う本で
「いじめをなくす方法」について書いてあります。
「いじめをやめようぜ!」と呼びかけるのは正しい事だと思うけど、しかし残念ながらそれは解決策ではない事を歴史が証明している。
と彼は言いました。
過去、散々いろんなイメージキャラクターでいじめかっこ悪いとか言ってきましたが、いじめはなくなりません。
(ちなみに僕は前園大好きです。)
解決方法の例に「プレステ3をやめさせるには、プレステ4を与えれば良い」とありました。
つまり、いじめをやめさせるには、いじめよりおもしろい事をやらせれば良いということ。
その例えに出てきたのが、例えば「ブルーハーツって知ってる?」と教えて、ギターの存在を教えてあげれば、いじめよりギターに興味がいくだろうと言う話です。
この話は、魔法のコンパスを読んでください。
そして、これを読んで、僕は西野氏ファンである前に・・・
ブルーハーツの大ファンなのです。
そして、今回のブログタイトルはまさにブルーハーツの曲名、そのものです。
おそらく、西野さんもブルーハーツは好きでしょう。
なぜなら、年代的に好きなはずです。
あの、西野さんを生理的に嫌いな人はこれ以上読まないでください。
話は急に変わりますが
2001年宇宙の旅という映画をご存知でしょうか??
この映画はなんと1968年に公開されました。
監督はスタンリーキューブリックです。
この監督の名前を知らないで「俺、映画好きだよ」とか言ってたら、嘲笑されるレベルです。
そして気がつきますでしょうか??
今、2017年ですが、この映画を見てほしい。
(30秒の予告編でいいから見てほしいです)
・・・見てもらったところで、なんの違和感も感じないと思います。
例えば、描かれている宇宙服になんの違和感も覚えないと思います。
・・・言ってる意味わかりますか?
1968年に作られ、2017年の今に違和感を感じないんですよ?
約50年前に作られた映画ですよ?
(さすがに、宇宙ステーションで白い短パンは違和感ありますが・・・)
CGもない時代だから、映像に違和感はありますよ、そりゃ。
この映画のスゴイところは、1968年アポロ13以前に作られた映画である事なんです。
宇宙服だって、宇宙船だって、宇宙ドックだって何にも違和感がないって不思議じゃないですか?
この現在に違和感のないものを、1968年に描いているっておかしくないですか
まるで1968年に未来が見えていたとしか思えないんですね。
もし、未来が見えていなきゃ、2001年宇宙の旅に出てくる、宇宙服やらなんやら全てが現実とかけ離れているものになていると思いませんか??
では、なぜキューブリックに未来が見えていたのでしょうか?
おそらく、この映画の撮影の際、キューブリックの周りには、
だって誰も見たことのないことを描いてるわけですから。
そして、今となっては結局その通りになった。
でも、未来から来た人でも、未来が見えてた人でもなかった。
答えは
現在の宇宙開発に携わってる人のほとんどが、子供の頃にこの映画を
その彼らがNASAに入って作くる宇宙服は「
宇宙船だって、宇宙ドックだって、
そう考えるとあの映画の影響力たるや、恐ろしいものがある。
宇宙服なんて、本当に映画のまんまです。
そして、何が言いたいかとなりますが、
今彼はものすごい嫌われています(特にネット中心で)
ですが、
何かをやる度に、批判と戦っています。
もしかしたら、スタンリーキューブリックのように、
今の子供たちがえんとつ町のプペルにふれ、
そしたら、未来では西野さんの価値観「常識」になっているかもしれません。
なので、もしかしたら、何十年後には「西野には未来が見えていたのか?」って、ドキュメンタリーが出来ればいいと思ってます。
そう、未来が見えていたんではなく、
僕らの子どもが未来を作るんです。
ブルーハーツになぞらえて言えば、
未来は僕らの手の中の歌詞ですが。
ファン目線で申し訳ありませんが以下の歌詞、まさに西野氏の生き方ですよ!
くだらない世の中だ、ションベンかけてやろう
打ちのめされる前に、僕が打ちのめしてやろう
僕が打ちのめしてやろう。
誰かのルールはいらない、誰かのモラルはいらない
学校も塾もいらない、真実を握りしめたい。
さぁ、ブルーハーツききましょうか?