
ねぇどうして…
すごくすごく好きな事ただ伝えたいだけなのに
うまく言えないんだろう
(ドリカム:LOVELOVELOVEより引用)
好きな人に好きだと伝える。
ご自身にとっては人生最大の大イベントである。
そして、他人から見ても結構なエンタメである。
僕は、もしあなたの告白が成功した時には心から祝福出来る自信があります。
そして、もしあなたの告白が失敗した時には心の底からムスカさんのテンションで
と、言える自信もある。

(スタジオジブリ「天空の城ラピュタ」より引用)
そして、今や告白の仕方も時代とともに変わっている事にはお気づきでしょうか?
そう、スマートフォンが普及してから時代は変わりました。
若者の活字離れと言われ、手紙を書かなくなり、年賀状を書かなくなり、新聞も読まなくなり、テレビのニュースも見なくなった。
だが、代わりにニュースもネットで読むようになり、ありとあらゆる情報はスマートフォンの文字情報から取り入れており、活字からは離れているがどっこい文字情報は昔の数十倍は取り入れているのです。
また、ビジネスシーンにおいても「会う事」「話す事」こそが重要であった時代から、現在その行為は相手の時間を奪うものとなり、メールで要点を正確に伝えられる事のほうが親切とされています。
そうなって来ると告白についても時代と共にその方法に変化があるのではなかろうか??
告白しても伝わるかどうか不安だった昔
僕らの時代(昭和57年生まれ)では告白は対面形式で行うものでした。
当時PHSが普及してきたため「メールで告白」と言う事の創成期だったのかもしれない。
今の人達にはわからないだろうが、昔PHSのメールはPメールと呼ばれ「カタカナ20文字で10円」だったのだ。
しかも、濁点も一文字扱いのドラクエ方式だ。
出来うる告白メールは
「アナタカ゛スキテ゛ス ツキアッテクタ゛サイ」
(濁点含めてピッタリ20文字)
だ。
要点をまとめるという意味ではかまいたちの夜の「こんや、12じ、だれかがしぬ」くらいわかりやすい。

だが、カタカナ20文字だとしゃべり方としてはドラえもんのびたの海底鬼岩城のバギーちゃんみたいになってしまい

(小学館:ドラえもんのび太の海底鬼岩城)
どうしてもウィットに欠けてしまいます。
これはコクれば確実に成功するであろう二人とも脳内お花畑状態でしか効果は発揮されなかったのだ。
現在の告白事情
文字情報の立ち位置が格段に上がった現在においては告白メールも重宝されています。
(通称コクメ)
今や直接告白なんてのは勇者扱い、電話で告白でも猛者扱い、LINEで告白なんかも普通扱いだ。(成功の後に「本当は直接言ってほしかったな」くらいの戯言は言われるでしょう)
だが、時代は違えど「学校でうんこしたら罪人扱い」なのは変わらないらしい。
本日のポイント
するは一瞬の恥。
漏らすは一生の恥。
ちなみに余談だが僕の地元には「エンペラー(皇帝)」と言うラブホテルがあった。
学生時代にそこに行ったやつは文字通り皇帝扱いされていたものだ。
本題に戻るが、とは言え成功率はどうやら直接対面かトップである事に変わりはないのだ。

(「大学生の恋愛:告白するなら出会って3ヶ月未満がベスト」より引用)
本題!ラブレターの役割
では本題に入るが、ラブレターとはなんぞや?である。
文字情報が溢れてある昨今において、ラブレターとはもはや手紙である必要はない。
LINEでもいい。
逆に
データ通信が溢れているからこそ手紙だ!!
直筆の方が愛がこもっているだろ!!
となって手紙にいくかもしれない。
と言って
奇をてらって矢文なんかを使って演出をして俺おもしろいだろ感を出してくる人もいるかもしれない。
だが、そんな事をしたら彼女からの返信は「被害届」に名前を変えて、あなたにではなく警察に届くだろう。
ラブレターとは愛を綴るものなので、その形はなんでもいいのです。
問題は紙とかじゃない、文章の内容だ。
(矢文は論外だ)
ラブレターは一撃必殺と言うのが間違い
考えてみて欲しいが僕らの中でラブレターは渾身の一通限りと思っていないだろうか?
もちろん、それはそれでいいのだが恋愛と言うのはステップ・バイ・ステップであり、お互いが徐々に歩み寄って関係を築いていくのではないだろうか?
実際に「告白」という儀式を経て
今日から私たち恋人です
と、言うのは日本独特であり、お互いが距離を縮めていき
私達って恋人だよね?
と、お互いの関係の確認というか最後の念押しというのが告白の役割であり、むしろこちらがグローバルスタンダートだったりするのだ。
(確かに洋画で「I love you」を使う時って確認の時だよなぁ)

(映画「LEON]より引用)
それを行わず自分だけ気持ちを高ぶらせた状態で突然それをぶつけると、相手にはどう映りますか??
それは、キレる若者やキレる老人と同じであり、ある意味ハラスメントとも言える構図です(告白ハラスメント)。
どうしてこんなに簡単な仕組みを理解することができずに一撃必殺のラブレターを送るのでしょうか。
それは僕らに恋愛を教えてくれたのが「ドラマや映画のような激情的な恋」か「お見合い文化があった旧世代の人達からクソバイス(クソアドバイス)」からの恋愛観で構築されているからだと考察できる。
※クソバイス例:「嫌よ嫌よも好きのうちだから、嫌がられてもとにかく攻めろ、女は待ってる生き物だ」等
相手の立場に立っているであろうか?
僕も含め皆様経験あるだろうが、深夜に書いたラブレターを翌朝見ると吐き気をもよおすあの経験だ。
何が言いたいかというと舞い上がっている時は「吐き気がする文章」を相手に送りつけている可能性があるという事だ。
どういうことかと言うと、いざラブレターを書こうと考えた場合(若しくは告白しようとした場合)
伝える事は「自分はどれだけあなたを愛しているか」になっていることです。
伝えたい事が「僕はあなたが大好きです」なのは大前提であるのは仕方ないが、相手の事が全く配慮されていない手紙なのである。
僕らブロガーと言うのは必ず読んでくれる相手を想像して書いています。
つまり僕はあなたを想像して書いているのです。
ですが、深夜のラブレターになると相手のことなんかおかまいなしです。
とにかく「僕がどれだけあなたを好きか」だけにフォーカスしてしまいます。
書いているこちらとしては甘酸っぱいラブレターだが、届く頃には甘さは完全に抜け落ちて、酸っぱさだけが残りそこに加齢も加わって、もはや異臭のするラブレターに成り代わっているです。
例えばこんなラブレターはいかがでしょうか?
好きです。
僕はあなたが大好きです。
あなたにとってはほんの些細なことかもしれませんが、あの時二人で食事をした時になんてキレイな人なんだと思いました。
笑うタイミング、サラダを取り分ける時にさり気なく箸の反対側を使う気遣い、生グレープフルーツをうまく絞れない甘えん坊なところ、お会計の時にお財布を忘れてしまうちょっぴりドジなところ。
僕自身女性と食事した経験があまり多くないですが、そんな事が気になって、気がつけばその全てが好きになってしまったのです。
僕と付き合ってくれませんか?
どうですか?
こんな感じで書きがちじゃないですか??
でも、これよく見ると自分の事しか書いてないんですね。
ラブレターという相手が読むものなのに、その相手の事が一切書いてないのです。
自分の事だけです。
更には「気がつけばその全てが好きなりました」と書いていますが、彼女が財布を忘れたのはわざとである事ににもっと早く気が付かなければいけないのです。
もう一つ加えて言うならば、生グレープフルーツも女子会だったらピカソの名画アイロンをかける女の様に、最後の一滴まで絞り出しているはずだ。

(↑ピカソ「アイロンをかける女」)
それに気が付かず
と、言ってしまう男は、将来財産までも一滴残らず搾り取られる事になるのが大人の恋愛と言うものだ。
【第二話に続く】