こんばんは!かめぴょんです。
先日キングコング西野氏がブログでこんなことが書いてあった。
「(仮)レターポットとは何ぞや?そしてレターポットが描く未来は?」的なテーマでブログを書いてくださった方は、僕のTwitterの方までご一報ください。ブログの最後にご自身のレターポットのURLを貼り付けるのもお忘れなく!(「西野亮廣ブログ」より引用)
さて、レターポットとはなんぞやについては過去に記事を書いております。
西野氏のブログにもオススメとして掲載いただけている、とても光栄です。
さて、そうなると後半にあった「そしてレターポットが描く未来は?」も現段階で思うことを書いてみたくなった。
西野さんからのお題だ。
ハイボール片手に書いてみようと思います。
いきなり否定から入るのは基本的に好きではないが、今回は勇気をもって否定したい。
それは、どこかで買い物をした際に
お会計は現金ですか?カードですか?
それともレターですか?
こんな未来は絶対に来ない。
なぜなら、レターは「新しい通貨」としいう概念ではあるが「法定通貨」ではないからだ。細かく言うと「仮想通貨」ですらない。
レターはその両方(法定通貨、仮想通貨)とも目指していない存在です。
なので「お会計の場」つまり「モノやサービスと通貨を交換する場」では使えないのだ。
資本主義が生み出した最高に便利なものが法定通貨です。
日本で言うなら円のことです。
円は発行母体が政府であるから、もう信用の塊です。
どなたかいます?
日本を信用していない人?
保育園落ちた日本死ね!!
という言葉に共感して日本は信じていない人も、日本が発行した円の価値は絶対的に信用していると思います。
世界にはあるんですよ、国政が不安定で法定通貨より仮想通貨(ビットコインなど)の方が信用されている地域とか。
お金の価値は発行母体の信用で決まるんです。
だからレターポットの価値を国民全員が信じるなんてことはあり得ないのです。
だって、レターの価値って便利すぎるお金の陰になった部分の価値観に光を当てる装置だからです。
そもそも全員が好きになるほど便利な設計にはなってません。
(はっきり言って不便です)
便利じゃないですかお金って。
資本主義が生み出した究極に便利なものだと思いますよ。
で、その便利な資本主義をひっくり返すために作られたのがレターではないのです。
ドライな資本主義の中に温度をもった選択肢がひとつあったら面白いと僕は思ってます。
先ほどの
お会計は現金ですか?カードですか?
それともレターですか?
であるが、そもそもこの選択肢って種類が違うのです。
現金=払うもの
クレジットカード=払うもの
レター=贈るもの
なのです。
会話がなりたっていないでしょ?
支払方法聞かれているのに一つだけ「支払う」という行動がとれない種類のものあるでしょ?
しつこいようだが、種類が違うのだ「払う、払う、贈る」だ。
本来、最初の質問をされたら
いやいやいや、レターじゃ払えねーから!!
ってつっこまなければいけないのだ。
もっとわかりやすく言うと、例えばドンジャラやってて
ドーン!!
のびた、のびた、ジャイアーン!!
って言われたら、全員が
いやいやいや、ジャイアンじゃあがれねーから!!
ってつっこむはずだ。
そう、レターと法定通貨って、のびたとジャイアンくらい種類が違うのだ。
「払う、払う、贈る」は「のびた、のびた、ジャイアン」なのだ。
(あれ?全然違う気がしてきた…)
さて、先の説明でレターは資本主義の大原則「交換」に用いるものではないという事がわかったと思います。
そして最近Facebookやツイッター上で見かけるレター払いという言葉だ。
僕の説明では、レターは「贈る」もので「払う」ものじゃないと完全にレター払いを否定した。
しかしだ
僕はこれから完全に真逆のことを言います。
全力でついてきてください。
なにせ、僕は前章であんなに否定しておいて「レター払い」肯定派なのだ!!
さて、僕の友人で「世界一おいしいレアチーズケーキ」というどこまでが冗談なのかもわからないケーキを趣味で作っている人がいる。
他にも、めちゃくちゃ美味しい有機野菜を無償(時には交通費自腹)で配っている人がいます。
そして、二人ともですね…
とにかく金を受け取らないんですわ
いや、材料費程度は受け取ってくれますが、いわゆる利益の部分は受け取らないんですわ。
受け取っても微々たるものなんですよ。
こちらとしては、感謝の気持ちを伝えたいんですよ。
利益の部分を受け取ってもらいたいんですよ。
だって、僕らは小さい頃から感謝の気持ちを伝える方法はお金を渡すことだって教えられてきたじゃないですか??
例えば感謝の気持ちを現金じゃ生々しいから御祝儀って言い回しにして、水引付けてお金らしさをわざわざ消した渡すよう習ったじゃないですか?
例えば感謝の気持ちを現金じゃ生々しいからお車代って言い回しにして渡すように習ったじゃないですか?
任侠映画でも誠意見せろコラァってお金要求するじゃないですか?
北の国から92巣立ちでも
純がたまこを妊娠させたときに五郎さんがカボチャもって謝りに行ったら菅原文太に
誠意って何かね?
って突き返されたじゃないですか??
※その後、五郎さんは丸太を売って100万円現金書留で送ります。
資本主義に35年間浸かっている僕の頭ではココア純(レアチーズケーキ作る人)や、つくしさん(野菜くれる人)にはお金でしか感謝を伝える手段がないと思っていたんです。
でも
えー、もらっていいんですか?後でレター送りますね!
というと嬉しそうな顔でにっこーって笑うんです。
前のブログにも書きましたが、お金を支払うと厚意が清算されちゃうんですね。冷たいんです。
レターポットは温かいんです。
このにっこーって感情を生むことこそがレターポットが描く未来ではないでしょうか?
だから、レター払いというと「払い」という資本主義っぽい単語につられるが、翻訳すると
レター払いOK=私はレターに価値があることを知っているマイノリティ(少数派)ですよ
と今は言えるのではないだろうか。
現時点ではレター払いOKというのは、資本主義を引きずっているわけではなく、正当なる自己主張であるように思えます。
じゃあ、レターポットを使うとどんな事ができるかを考えると、僕が思いつくのは趣味を継続させてくれる機能があると思います。
人生において趣味というのは絶対的に大事だと僕は思っています。
過去にこんなブログを書きました。
が、今は話の本筋から脱線してしまうので読まないでください。
暇な時にでも読んでください。
さて、なぜ趣味が大事かを要約すると
趣味は仕事の辞め時のベンチマークになるんです。
つまりワークライフバランスを計るのに必要なんです。
一週間に一回趣味の時間を作れない働き方をしているの時は要注意です。
趣味を継続できない理由は「お金」か「時間」だとおもいます。
どちらが足りなくてバランスが悪いかは人それぞれですが、それはそっくりそのままあなたの働き方のバランスの悪さなのです。
無趣味だと、働いていても感覚がおかしくなり低賃金で休みなく働かされても文句を言わない奴隷になってしまいます。(僕がそうでした)
しかし、趣味があれば好きなことやりたいという原動力になり、こんな環境はおかしいと気が付けるのです。
これに気が付けなければ、あなたはアリのように働いてキリギリスのように死にますよ。
だけど、胸を張って趣味があります!って言える人は少ないでしょうね。
逆に没頭できる趣味がある人ってうらやましいと思っている人が大半ではないでしょうか?
趣味の話だと、僕は料理がうまいです。
料理を始めたのは20歳くらいからです。
きっかけは単純です。ワンピースのサンジが好きだからだ。
最初はチャーハンからスタートですが、最近ではおせちまで作れるようになりました。
しかし、どうして僕がこの趣味を継続できたかというと食べてくれる人がいたからです。
僕の嫁さんはとにかくおいしそうにご飯を食べてくれるのです。
20歳から付き合っているが、僕が作ると
いいんですか!!
いいにおいがしますなぁ~!
おかわりありますかね?
美味しかったです!
洗い物しなくていいですか?←
と、とにかくいいリアクションをするのだ。
だから僕は何度も作る。
何度も作るからうまくなるというわけです。
じゃあ、それがレターポットとどう関係あるの?となるだろう。
例えば、編み物を趣味としてとレターポットを掛け合わせたらどうだろうか?
人って誰かのためなら編めるんですね。
でも自分のために編む人は…それはいるか。
自分のために編み続ける人ってなかなかいないと思います。
趣味として編んで売り物になるくらい腕が上がると誰かに届きます。
誰かに届けば感想や反響、つまりリアクションがありますよね?
でも、ほとんどの人が腕が上がる前に辞めちゃうと思います。
「何のために編むんだろう」という壁に当たるからです。
ギターもそうですよね?
弾き始めて弾き語りできるくらいになれば楽しいのに、みんな「F」がおさえられなくて辞めちゃうんです。
※通称「Fの壁」
でもね、ここでレターポットの出番です。
本来であれば「売り物になるレベルのものじゃないからとても人様になんて…」と遠慮していた編み物も…
少しの勇気があれば
レター払いでいいよ!!と言えば自分の発展途上の作品を人に届けることができる。
レター払いでいいよ!!は本来のレターポットの本質からずれている。
そもそもレターは交換の原則ではないから。
でも、このレター払いでいいよ!!は照れ隠しの意味も含まれてるかもしれない。
もうテヘ!!って訳してもいいのではないだろうか?
このブログもそうです。
僕の趣味ですが、レターポットをやる前は「アクセス数」を見て自分のブログの評価をしていました。
でも。レターポットは「楽しかったです」や「ブログ読んで私もレターポット始めました!」とかが直接届くのだ。
コメント欄には無料で書き込めるのにわざわざレターでもらえるのだ。
こんなにうれしいことはない。
だから僕は今日もブログが書けるのです。
つまり趣味の原動力はリアクションなのだ。
料理なら美味しいって言ってくれる人。
編み物ならかわいいて言ってくれる人。
ブログなら面白いって言ってくれる人。
リアクションこそ原動力だ。
趣味が続かないのはリアクションがないからだ。
レターポットはリアクションだ。
リアクションとは原動力だ。
つまり、レターポットとは原動力そのものだ。
サイレントマジョリティー
「あなたに賛成している人は沈黙している」という意味の言葉です。
レターポットはサイレントマジョリティーをぶち壊してくれます。
あなたに賛成している人は沈黙せずレターを贈ってくれます。
レターポットは信用を可視化する装置です。
決して信用を上げる装置ではありません。
編み物を例のままいくと、編み物してレターポットをやれば売れるわけじゃないんです。
とにかく作って、とにかく発信するんです。
ジタバタするんです。
自分の作品が相手に届くかは編み物の完成度じゃないんです。
あなたが発信したあなたの人間性そのものなんです。
あなたが素敵な人ならへたくそなマフラーでも必ず誰かに届きます。
「レター払いでいいよ!テヘっ!」って照れ隠しでもいいからとにかく発信するんです。そしたらレターは巡ります。
あなたが照れ隠しで動かしたレターは、巡り巡って誰かを幸せにするはずです。
そんな未来が来たらいいなと僕は思ってます。
↓僕のレターポット