先日、仙台で開催された西野亮廣講演会に参加してきました。
講演会には何度か参加していましたがビジネスをテーマにした話が多かったのですが、なんと今回は映画えんとつ町のプペルのあらすじを全部喋っちゃうという事でした。
実はこの試みは一年ほど前から行われており、僕が東京にいた時もそういうイベントが何回かありました。
しかし、僕は断固としてそのイベントにだけは行かないようにしていました。
それは何も知らない状態で映画に行きたかったからです。
ですが、今回は何を話すかわからない中で行った講演会がまさかのあらすじ全部言っちゃうイベントだったんです。
しかも席は最前列。
こんな特等席のようなイベントを
「いやだ!聞きたくない!帰る!!」
とも出来ませんでした。
「いやだ!聞きたくない!帰る!!」
とも出来ませんでした。
そして、僕は全てを聞いてしまったのです。
ネタバレ
ご安心ください。
このブログではネタバレはありません。
昨日聞いた話は口外禁止(のはず?)なので、映画の内容については書きません。
まずは最初にハッキリ言っておきます。
どこの世界に公開前の映画のあらすじを全部喋っちゃう作者がいるんですか??
ですが、聞いた感想としてはムッチャ面白いあらすじでした。
でね、西野亮廣の作戦として9割位しゃべって
最後どうなるかは公開までお楽しみに!!
ならわりますよ。
うぉーー
絶対見に行くーー
ってなりますよね?
しかし、先日の仙台の講演会は
最後はこうなってここでエンドロールが流れるんです!!
どうもありがとうございます西野亮廣でした。
パチパチパチ・・・
ホントに全部喋っちゃった!!
しかし不思議なもので、あの話聞いたら「あの話をどういう風に映像化するのかな?絶対に見に行くわ」ってなっちゃいましまた。
原作を先に読む事もある
でも、よく考えたら多くの映画は小説が原作というパターンが多いですよね。
普通はいい映画だったからきっと原作には映画では描かれてない細かい描写があるのだろうと小説を読みますよね。(ハリーポッターとかそうですよね)
でも、一部のファンは先に原作を読んでどう映像化されたかを見に行きますよね。(銀魂とかそうですよね)
僕も読んだ小説が後に映画化することはよくあります。
そう考えたらミステリー作品だったり渾身のオチに全てをかけてる映画じゃない限りはストーリーを知ることについては問題がないことに気が付きました。
メッチャ簡単に言うと
ジャンプ読んでから単行本買う
のと同じですね
ジャンプ読んでから単行本買う
のと同じですね
斬新すぎる大どんでん返しはない
これはネタバレではないと思うのですが話の展開は「最後の5分に何かが起こる!!」的な事ではなくて、王道的なストーリー展開です。
どんでん返しはあるものの「ユージュアルサスペクツ」や「イニシエーションラブ」のような物語全体を完全にひっくり返すような大どんでん返しはないですね。
キングコングの漫才はオーソドックススタイル
ただ、それもよく考えたらキングコングの漫才も「奇をてらったもの」ではなく超オーソドックススタイルですよね。
特徴はテンポが速いと言うことで圧倒的な王道スタイルですね。
西野亮廣は「誰も思いつかない事」をやるイメージがありますが、よくよくそのパターンを見ると「誰もが思いつくけどめんどくさ過ぎて誰もやらない事」を圧倒的にやり続けています。
今回の映画も流行り廃りがあるトリッキーな演出ではなくて、圧倒的な王道という印象でした。
逆に王道が故に永く愛される作品になるのではないかと思われます。
嘘がキーワード
これは本編とは全く関係ありませんが、西野亮廣の名言の中で「嘘は感情でつくんじゃなくて環境でつく」と言うものがあります。
どういうことかと言うと食レポ番組にでるとホントはマズイのに美味しいと嘘をつかなきゃいけない時があるとの事で、それはつきたくてついてるのではなくて食レポと言う環境が嘘をつかせているという理屈で、西野亮廣は嘘をつかないためにそういう嘘をつかなきゃいけない仕事をすべて断っているそうです。
嘘をつく環境に身を置かないということですね。
それは以前から西野亮廣が言っている「貨幣経済から信用経済へ」と言うことを見据えて自身の価値を高めるためには嘘をつく事がコスパが悪いと言っていました。
ところがどっこいもう一つ理由があったのです。
作者と作品の関係性
それは今回のえんとつ町のプペルのもう一つのテーマは「嘘」です。
歌詞にもございますが
嘘つき呼ばわりされたパパが言ってたよ。えんとつ町の煙の上には星があるって。(ロザリーナ「えんとつ町のプペル」より引用)
と、あり主人公のルビッチ少年の父は嘘つき呼ばわりされていて、最終的には父は嘘つきじゃなかったと言う物語です。
これがどういう事かと言うと、この嘘をテーマにした作品の作者が嘘つきだと作品の価値が落ちると西野亮廣は言うのです。
つまりは自身が嘘をついてしまう存在だと、この作品は完成しないと言う事なんです。
※食レポするタレントを嘘つきと言っているわけではありません
えんとつ町のプペルの全貌は約8年前に出来たそうですが、嘘をつかない西野亮廣が描くえんとつ町のプペルでなければ価値はないと言う戦略もその時から実行されていたのです。
そして、本題ですが映画えんとつ町のプペルはこの「嘘つき」と「信じて挑戦する人」の感情の起伏がものすごく丁寧に描かれています。
嫌われ役を書かせたら日本一
もう一つ、先程物語の主人公はルビッチ少年と書きましたが主人公はルビッチではないそうです。
言われてみれば「えんとつ町のプペル」と言うくらいだから確かに主人公はルビッチじゃなくてプペルですよね。
いやはや、そりゃそう・・・
絵本にはまだ主人公は登場してません。
ええええーー!!!
主人公誰やねん!!
コレも驚きでしたが、このあたりは西野亮廣公式ブログで普通に言っていたので適当にお探しください。
さて、主人公しかり、プペルしかり、ルビッチしかりとにかく町の人から嫌われます。
その描写たるや、どうしてこんにも嫌われ役をうまく表現できるんだろうと思って聞いてましたが、そう言えば西野亮廣は数年前まで汚い言葉を浴びせられた人ランキングが1位ではなく、その上のチャンピオンだった事を思い出しました。
そんなチャンピオンの西野亮廣が描くえんとつ町のプペルが面白くないわけがないなと思える講演会でした。
現在2020年後半には公開予定で制作しているとのことでした。